傷む前に、手をかける。それは人も同じ。
「これが終わったら休もう」と、休む時間を一日のいちばん後ろへ追いやっていませんか。ひとつ片づけば、次にやることが見えてくる。仕事も家事も、暮らしの用事に終わりはありません。だから「終わったら休む」と決めていると、休む時間はいつまでもやってきません。だからこそ、休むことは「頑張ったあとのご褒美」ではなく、次の時間を心地よく過ごすための大切な「お手入れ」です。
「これが終わったら休もう」と、休む時間を一日のいちばん後ろへ追いやっていませんか。ひとつ片づけば、次にやることが見えてくる。仕事も家事も、暮らしの用事に終わりはありません。だから「終わったら休む」と決めていると、休む時間はいつまでもやってきません。だからこそ、休むことは「頑張ったあとのご褒美」ではなく、次の時間を心地よく過ごすための大切な「お手入れ」です。
都会にいると、夜になってもなかなか暗くなりません。道にも、店にも、部屋にも光があり、昼の続きのように時間が流れていく。一日の終わりにも部屋全体を明るく照らし、画面を見つめ、まだ何かを考え続ければ、身体は家に帰っていても心は昼の中に残ったままです。そんな中で、暗さは不便なもの。明るいことは良いこと。いつの間にか、そう思うようになっていたのかもしれません。
きれいであることは、気持ちがいい。けれど、きれいにしたいと思うあまり、洗いすぎていませんか。肌を何度も洗う。強い洗浄剤で汚れを根こそぎ落とす。家の床や柱をいつも新品のように磨き上げようとする。汚れと一緒に、本来そこに必要なものまで落としていることに私たちはなかなか気づきません。 肌には、潤いがあります。革には、油分があります。木には、長い時間をかけて育った艶があります。どれも美しさを保つためになくてはならないものです。
良い革とは、傷ひとつない革のことではありません。 使うほどに色が深まり、触れるほどに艶が生まれ、その人が過ごした時間が静かに刻まれていく。 新品のように見えることよりも、その革らしく、健やかであること。 それが、良い革なのだと思います。 肌も、きっと同じです。 年齢の跡をすべて消した肌ではなく、触れたときにやわらかく、乾いておらず、その人らしい明るさを持っている肌。
家でゆっくり過ごしているはずなのに、なぜか落ち着かない。片付いているつもりなのに、どこか疲れる。そんな経験はありませんか。私は以前、その理由を物の多さだと思っていました。もっと収納を増やせばいい。もっと捨てればいい。そう考えていたのですが、あるとき気づいたことがあります。疲れの原因は、物の量だけではありませんでした。目に入る情報の多さ。いわゆる「視覚ノイズ」です。
毎日の暮らしは、思っている以上に慌ただしく過ぎていきます。仕事に追われ、予定をこなし、気づけば一日が終わっている。そんな日が続くと、心も少しずつ乾いていくような気がします。そんなとき、私はほんの数分だけ、身の回りのお手入れをする時間をつくります。「靴にブラシをかける」「革にクリームをなじませる」「お気に入りの洋服をハンガーに掛け直す」特別なことではありません。けれど、その静かな時間