きれいにしすぎると、大切なものまで洗い流してしまう
きれいであることは、気持ちがいい。けれど、きれいにしたいと思うあまり、洗いすぎていませんか。肌を何度も洗う。強い洗浄剤で汚れを根こそぎ落とす。家の床や柱をいつも新品のように磨き上げようとする。汚れと一緒に、本来そこに必要なものまで落としていることに私たちはなかなか気づきません。 肌には、潤いがあります。革には、油分があります。木には、長い時間をかけて育った艶があります。どれも美しさを保つためになくてはならないものです。
きれいであることは、気持ちがいい。けれど、きれいにしたいと思うあまり、洗いすぎていませんか。肌を何度も洗う。強い洗浄剤で汚れを根こそぎ落とす。家の床や柱をいつも新品のように磨き上げようとする。汚れと一緒に、本来そこに必要なものまで落としていることに私たちはなかなか気づきません。 肌には、潤いがあります。革には、油分があります。木には、長い時間をかけて育った艶があります。どれも美しさを保つためになくてはならないものです。
良い革とは、傷ひとつない革のことではありません。 使うほどに色が深まり、触れるほどに艶が生まれ、その人が過ごした時間が静かに刻まれていく。 新品のように見えることよりも、その革らしく、健やかであること。 それが、良い革なのだと思います。 肌も、きっと同じです。 年齢の跡をすべて消した肌ではなく、触れたときにやわらかく、乾いておらず、その人らしい明るさを持っている肌。
家でゆっくり過ごしているはずなのに、なぜか落ち着かない。片付いているつもりなのに、どこか疲れる。そんな経験はありませんか。私は以前、その理由を物の多さだと思っていました。もっと収納を増やせばいい。もっと捨てればいい。そう考えていたのですが、あるとき気づいたことがあります。疲れの原因は、物の量だけではありませんでした。目に入る情報の多さ。いわゆる「視覚ノイズ」です。
毎日の暮らしは、思っている以上に慌ただしく過ぎていきます。仕事に追われ、予定をこなし、気づけば一日が終わっている。そんな日が続くと、心も少しずつ乾いていくような気がします。そんなとき、私はほんの数分だけ、身の回りのお手入れをする時間をつくります。「靴にブラシをかける」「革にクリームをなじませる」「お気に入りの洋服をハンガーに掛け直す」特別なことではありません。けれど、その静かな時間